白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

自我の再生医療

非定型精神病。これが私の病名だ。感情障害に妄想が加わる。この病気のお陰で、私は7回入院し、仕事を失い、家族を失い、全財産を失って自己破産し、生活保護になった。いまは彼女もいないし、家族もいない。独り者だ。

病気の症状について書くと長くなる。エピソードを入れたら長編小説だ。それにしても、とんでもない失速だった。お金が無くなってからは早かった。去年は最悪で無一文になり、福祉機関に通帳と印鑑を預けて管理してもらう体制になった。

それでも生活保護が認められたのは幸いだった。心臓病があっても、病院に行けない状態が2年続いたのだ。いま生きているのは偶然かもしれない。

一流企業で高給をもらい、父は大学教授という文化環境から、現在の底辺の文化環境への移動は結構厄介だ。割り切ったつもりになっても、記憶が邪魔をする。自我は自在には変化しない。治療とかケアが必要になってくる。

精神病も治ったわけではない。年に何回もおかしな時期がある。妄想もあればうつもある。精神科の治療は欠かせない。重症なので、週2回の訪問看護まで入っている。

数年前の主治医は面白い人で、お金がないなら家に引き篭って瞑想しなさいと言った。私はそれに従った。結果、馬鹿になった。

私は何者なのか。ここまで来ると、精神障害者というレッテルは外せない。そのレッテルを背負って、自我を再生させる必要があるのだ。

闇雲に誰にでも相談するというのでは安易だろう。ならば、信頼できる一人のカウンセラーあるいはグルのような人を見つけろというのか。それこそ、依存ではなかろうか。

せっかく、9月に主体性を回復させたのだ。この回復した主体性を育てることこそが重要なのだろう。

いや、ナビゲーターはいた方が良い。主治医は忙しい。候補はいる。比較検討しなさい。あくまで、主体性が基軸だ。主体性を育てることが目標だ。

計画はいりませんよ。主治医はそう言った。なるようにしかならない。脆弱になった自我を再生すること。現在の課題はこれしかないと思う。

浮浪者風は、そろそろ卒業したい。