勤労と世間

勤労は聖なるものとして尊ばれるとともに、刑罰としても用いられる。そして、なによりも収入という形で格付けの装置として機能している。

 就労継続支援B型に通所するようになった。周りの見る目が変わった。賃金が安くても働くのは良いことだ。周囲の素人はそう言った。父もだ。そして、医療、福祉関係者の評価も変わった。安定したんですね、と。この、周囲の変化は、私には驚きだった。

障害者にとって就労とは何か。勤労観という問題ではなく、世間の目だ。世間はそれほどに就労に好意的なのだ。

就労継続支援B型というのは労働ではない。労働基準法は適応されない。最低賃金もない。私など、1ケ月働いて千円になるかどうかだ。ある意味で、アンダーグラウンドの経済。ブラックもブラックだ。それでも「就労」という名前だけで世間は好意的なのだ。仕事があるのは有り難いこと。古臭い観念は、今も健在だ。

私としてはヴィブレンの「有閑階級の理論」でも読んで勉強して欲しいのだが、日本では受けが悪いのだろうな。

私は障害者にプレッシャーをかける現在の障害者雇用、就労制度を問題視している。障害者というクラスタを安価な労働力として活用しようとする思惑、障害者就労そのものをビジネスにしようとする思惑が目に見える。バラ色の障害者就労など聞いたことがない。いずれまた、制度が変わるだろう。法律が変わるだろう。

しかし、世間の勤労観は簡単には変わらない。

「働かなくて良いんです」

堂々とそう主張する政党や政治家は現れないものか。

ああ、選挙で勝てないか。