白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

グループホームの根本

一人暮らしは限界だ。薬で知能が低下し、日常生活能力と金銭管理能力をうしなったのだ。心臓に持病がある。一人は不安だ。施設かグループホームに入れてもらえないか。

この話は3年ほど前から行政や福祉関係者にしているが、まったく進展がない。

今日の診察でもグループホームの話題が出た。私の通院しているのはクリニックなので、グループホームにコネがない。病院を紹介するから、あとは担当になった主治医次第というギャンブルだ。もちろん、一人暮らしのメリットもあるし、グループホームのデメリットもあるだろう。しかし、現状は孤独と金欠を中核として不安発作が続いている。生活もグダグダになっている。グループホームも一考の価値があると思った。

訪問看護師に電話をして我に返った。グループホームの根本は一人暮らしできるようになるための訓練施設なのだ。死ぬまでいられるわけではないのだ。却下だ。

しかしね。一人暮らしを自立と呼んで称賛するというのが、実に表面的で浅い。そして施策の怠慢だと思う。

人権にもいろいろあるが、大規模収容施設の方が、コストベネフィットは良いはずだ。今、必要なのは厚労省の力のあるアイデアマンではなかろうか。

前にも少し書いたが、障害者特区があってもいい。とにかく一般世界と障害者世界は経済活動においても分離しているようなものなのだ。

ふむ、グループホームから話がそれたが、もっといろいろなグループホームがあって良い。もちろん、そのためには法律を変えないといけない。

いまは障害者世界の人が一般世界に行きたいと望もことはあっても、逆はまれだろう。もっと魅力的な障害者世界を構想しよう。

一人暮らし政策は、自立という美名はあるものの、虚しい政策だ。障害者には、ハードルの高い政策だ。グループホームの位置づけと要件を見直すべきだ。さあ、回路を作ろうか。