作家・詩人・エッセイスト・研究者
2011年。私は自信過剰だった。何の戦略もなく、ただ、書いていた。
研究者としては卒業論文である「資本剰余金の本質と意義」、経済産業省から表彰を受けた「21世紀の物流システム確立にために」ほか、東洋経済の高橋亀吉賞に3度ペンネームで論文を提出している。実名なら入選したかもしれないが、当時はまだ会社員であり、立場がまずくなると考えた。勇気が無かった。
詩人としては20代の頃から活動していた。「魔界の独白」ほか、ISBN付で「ロバート劇場」(2011、パレード社)がある。「MEW」という同人詩誌でも活躍していた。あの頃は才能に溢れていた。今はもう、詩が書けない。
作家としては、2013年に書いた「狂った季節」が処女作と言えるだろう。傑作だと思った。「宇宙人会議」という本格SFも書いた。私は、作家・詩人を名乗った。ペンネームも黒崎玄太郎から白井京月に統一した。
エッセイ集としては、「カオスなコラム21」がある。これは秀作だと思う。
そのほか、書評家の顔も持っていた。いまも、白井京月の読書メモの残骸が残されている。
さて、私はこれから何を書くのか。詩人の才能は失った。論文を書くには本を買うお金が無い。作家としてはまだまだ未熟だが、ここはずばり、作家とエッセイストに絞るべきではないのか。
人生の残り時間も少なくなってきた。来年は還暦だ。さあ、集中と選択だ。もう、迷いはない。
はてな村民としての自覚と誇りを持って
私がホームページを始めたのは、2001年の911がきっかけだ。私も世界平和に参画しなければならないいという妄想から、biglobeでホームページを立ち上げた。まだ、会社員だった時のことだ。超アナリスト黒崎宣博氏を名乗り「アナリストのための1日8分」というサイトを作った。途中から「黒崎亭」に名前を変えた。
1999年には村上龍のJapanMailMediaに寄稿したり、森岡正博教授のサイトに投稿したりした。中央公論や東洋経済にも投稿していた。先日急逝された藤崎達哉氏のデリバティブ・ヴィレジでは、客員教授として、2本のエッセイを出した。
それが、2004年のアクシデントで、ネットをやらなくなった。
そして、自分の知識が周回遅れになっていることに気づき、2009年から猛勉強した。2009年5月20日、はてなブログを立ち上げる。最初のタイトルは「黒崎玄太郎のブログ1」だったが、いまは「白井京月の読書メモ」だ。はてなダイヤリーに移行しなかったので惨憺たるサイトになってしまった。自慢の代表作だけに、いま移植を検討中だ。
書くことは私の趣味だ。アメブロもやっているし、ライブドアもやっている。むらごんも。過去形なら、gooもyahooもシーサーもやった。クレイジーだ。
このブログもだんだんと閑散としてきた。内容が薄いからだ。自覚はある。
しかし、ここはひとつ知識人のはてな村民という自覚を持って、もう一度、本格的なエッセイを書いて行きたい。
黒崎玄太郎研究所のサイトも整備中だ。春までには形にしたい。
病気による(薬による)知能の低下と、資金不足による書籍購入の困難化という問題はあるが、奇跡が起きないとも限らない。
これからは、地道に書きますので、どうぞよろしくお願いします。
令和2年の長かった1月
ようやく1月31日。明日から2月だ。今年の1月は私には長く感じられた。体調はすぐれなかったが、メンタルは安定し、内容が充実していた。
特に大きいのが、前のエントリーでも書いたが、人間観がフラットになったことだ。成長という言葉は好きではないが、好転したとしておこう。
黒崎玄太郎研究所も再起動を決めた。出版エージェントに企画書を送った。カクヨムでの執筆も再開した。狂月日誌は1日何本もかいている。場末泡沫の霊界通信というムラゴンのブログもやっている。ミクシに、Facebook。どれも充実している。文学秘密基地も生まれ変わった。
しかし、今日、区役所の担当に注意された。
「仕事よりも健康からですよ。二兎追うと空中分解する。焦ってませんか。じっくり行きましょう」
ハッとした。有難い言葉だと思った。体調が悪いのに仕事をしてはいけない。常に頭に入れておく言葉だと思った。
次世代文明。それはもう、20年前から始まりかけている。今更、お金も能力も無いのに在野の学者にはなれない。軸。障老病異の「生存学」か、とか、また妄想が出てくる。霊言は、伊藤計劃の意思を継ぐものだ。これも妄想だ。もっと肩の力を抜け。次世代文明の文法。やはり、好奇心の核はここだ。個人的な好奇心だ。
それとは別に、平凡な日常を望んでもいる。アイスコーヒーとタバコ。贅沢はそれだけで良いなとも思う。
リスパダール(薬の名前)の影響でドーパミンが抑えられ、熱狂と興奮を好む私はいなくなった。ゲームはやるが、昔のように夢中になることはない。
2月は忙しい。睡眠が少し乱れている。淡々と、そして着実に進みたい。
2020年は良い年にしたい。
ここ数日で、私の人間性がまるで変わった
告白である。恥ずかしい。しかし、書かずにはいられない。
頭の根っ子の部分で、私は属性で人を評価したり判断していた。そんなことは無いと思っていたのだが、していたのだ。
属性とは年齢や性別、職業や知性だ。よくある社会学的な分類だ。どこかでそれを評価し、格付けし、分類していた。
しかし今は、そういう穢れたものが完全に無くなった。
通りすがりのご老人も、子供も、区別しない。一人の人間としてだけ見る。一つの個性だとして見る。
やっと、スティグレールの「象徴の貧困」が読めたのかもしれない。
教育という装置から、社会という装置から、自由になった感じだ。
うまく書けないが、それが私の実力だ。
いま、とても幸せだ。病気も受容できるようになった。
とにかく、顕著に人間性が変わったと思う。
考えることも、人に接する態度も変わっただろう。そう、別人に近い。
きっかけとなった出来事。ある出版企画書を書いたことかもしれないし、そうではないかもしれない。私は宇宙の中心ではない。
エナジー・フローの復活だ。ただ、自然の流れのままに。今は、それが出来ている。これからも、そうありたい。