白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

世界を失うということ

好奇心を失った。問題意識を失った。思考力を失った。知能を失った。

ああ、もう何がどうなっても良いんだよ。発狂して精神病院に永久入院という願望が出るときがある。貧困、病気、一日、何もやることがない。こうしてブログを書くくらいだ。世間のニュースにも関心がない。ミサイルが飛んできても関係ない。やることと言えば、近所のスーパーやコンビニで食料を調達するくらい。

夜になるとダメなんだ。あまりの虚無感で、自我まで虚無になる。そして喚くんだ。ウィーンウィーン、ブルンブルン、永久入院とね。いかれてるだろ。

すべてを失うということ。ひとことで言うと世界を失ったんだな。仕事を辞め、離婚し、友達を失った。まだ、完全に孤立はしていないが、悲惨なものさ。「明日」が無いんだ。「希望」が無いんだ。「意欲」が無いんだ。「廃人」だ。

劣化が止まらない。このまま死んで行くのか。どこかでリセットするのか。その気力も今はない。

50歳まで働いた。それがどうした。いま、鬱なんだよ。医者はそう言う。抜けるのを待つしか無いですねと。

来週から内科入院。頻脈性不整脈。先週は頻脈発作で4回点滴した。社会的資源の無駄遣いかな。座っていても息が苦しいんだ。もうダメだね。

社会制度にどっぷり浸かって生きている。ヘルパーさん週3回。訪問看護さん週1回。

ただ、生きている。何もしていない。世界を失うとは、こういうことなのか。

何もない世界を、世界と呼ぶのだろうか。

いま、私に、世界はあるのだろうか。微妙だ。