白井京月の研究室

経済学・社会学・政治学

あるがままに

あるがままに ― ラマナ・マハルシの教え

とある理由で、開かずの空間となっていたクロゼットをヘルパーさんと一緒に整理したところ、貴重なものが多数出てきた。その中に、マハルシの「あるがままに」があった。今はマネージャーのくろいぬ氏からプレゼントされた本だ。多分2016年のことだと思う。

2016年。当時の精神科主治医は、お金が無いなら家に引き篭って、一日、瞑想をしなさいと私に指示した。京都大学出身だ。一流の医者なのだろう。しかし、どう瞑想するのか質問すると口を濁した。

私は真面目人間である。図書館に行き、禅や仏教の本を借りた。ネットも調べた。あるサイトでは瞑想の種類は100以上あると書かれていた。そんな時、マハルシの本を頂いたのだ。

要約はやめよう。「真我」というのが鍵概念だ。浮かんでくる思いを「それは私ではない」」として破棄する。瞑想で不純なものを取り除く。言われてみれば、自分も、自我も自己も実体のない脳の仮想だ。そんなものを基盤にした、精神科医療、心理学など信じるに値するだろうか。

私は余命1年と言われても、酒とタバコはやめないと決断した。そして、数冊の本を出版したいと思った。しかし、体力とお金がない。この煩悩をどうすれば良いというのか。あるがままに、こそが賢明なのだろうか。

私は前の主治医の指示で、無我無想の瞑想が容易に出来るようになった。しかし、反面、馬鹿になったあようにも思っていた。インプットが極端に減った。

あるがままにの悟りは崇高なのだろうか。信仰、あるいは信念。そして観念。最後に残るのが真我。それは真の至福なのだそうな。私はまだ世俗にいるのか。